[見守る保育、待つ保育(by うめ)]

子どもたちは、日々の遊びや生活の中で、多くのことを学んでいます。自由に遊ぶ中で興味や関心のあるものを見つけ出し、納得するまで集中してやり続けます。時にはうまくいかないこともありますが、失敗の中からも困難を乗り越えたり解決方法を模索したりする経験をしていきます。
そのため、子どもが学んでいる時には、保育者はよけいな手出しをせず、あたたかく見守る必要があります。このことは前の園でも先輩から教わっていて、ついつい手を出したくなってしまうわたしとしては、特に留意していることのひとつでした。

しかし、ここ、さくらそう保育園では、さらに上を行っています。子どもたちが遊んでいる時はもちろん、ケンカ等でトラブルになっている時でも、すぐに保育者が介入したりはしません。(もちろん、ひっかきやかみつき等、ケガをする可能性がある場合は別ですが...)お互いの思いがぶつかり合う中で、相手にも思いがあることを知り、自分の思いを伝える必要があることを学ぶのです。
そして、このような経験を積む中で、初めて相手に対する思いやりの気持ちが持てて、結果的にゆずることができるようにもなるのです。すぐに保育者が介入して、大人の判断でどちらか一方を責めていれば、このような学びの場が奪われてしまうだけではなく、相手の思いによりそう気持ちや相手にゆずるやさしい気持ちが育つこともないでしょう。

また、単に見守るだけではなく、待つ必要があることもあります。子どもたちの育ちには一人ひとり個性がありますが、それとは別に育っていく段階や順序もあります。たとえば、首が座らないうちにお座りをすることはできませんし、はいはいを十分に経験せずに歩き始めたりすると、腕や上体の力が追いつかず、転んだ時に必要以上に顔をケガする可能性が高くなってしまいます。心の発達も同様で、年齢や月齢も参考にしながら、一人ひとりの子どもの個性やおかれている状況に合った活動や環境を提供していく必要があります。
そのため、たとえば一人で遊び込んだ経験があまりない場合、特に保育者等、大人に依存したがるような場合には、たとえ年齢が上の子どもであっても、自分で遊べる機会を作る必要があります。集団での保育や教育の現場では、全員でそろって同じ課題に取り組もうとすることが多いのですが、興味や関心、それまでの経験や一人ひとりの志向等、さまざまな要因を考慮に入れた上で、慎重に進めて行く必要があると思います。自分自身、保育者として手を出すことを含めて、結果的にできるようにしてしまいがちなのですが、子どもの気持ちと状態に応じて、しっかり見守りながら待つ必要性を感じています。

保育者としてのわずかな経験の中でも感ずることは多々ありましたが、今まで以上に学ぶことの多いここ「さくらそう保育園」で、これからも一人ひとりの子どもたちによりそう気持ちを持ち続けていきたいと思います。
さくらそう保育園 保育士
「うめ」こと梅原智(うめはらさとし)
お山のてっぺんで...

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